この問題については、まずは本音で話してみるかな?
授業時間が少なくなれば、テストの成績(同じ学力テストでの点数)が下がるの当然。
テストの結果が悪くなってもやむをえないと思えるほどの価値を「ゆとり」に見出していたのではないのか?
だったら、学力が低下したといって批判されたからといって、安易に方向転換したりするのはおかしいと思う。
どのようなバランス感覚で教育を計画していくか、という問題のはず。
あっちに行ったりこっちに行ったりじゃ、子供が迷惑する。
方向を転換し質を変えようとしているのだから、これまでのものさしに当てはまらないのは、当たり前の事じゃないのか。
学習内容を犠牲にして休日を増やしたり、内容の定まらない学習時間(総合学習など)を確保したりする事の価値は、「学力低下」との批判で簡単に折れてしまうようなものなのか。
成績がよくても社会で使えない子供、との批判は、内容を覚える事を重視した、受験戦争中心の詰め込み学習に対してされていたはず。
その時代の子供の「成績」は確かによかった。
社会の変化のスピードは、どんどん早くなっていく。
その変化についていく為には、与えられたものを覚えていく姿勢ではなく、何を身につけなければいけないか、自分で認識する必要がある。
さらに不況との関係もあり受験戦争に打ち勝てば社会に求められる時代は、終わったといえるだろう。
自分で言ってて自分が求められるかが不安になっているが、脱線してしまうのでこのぐらいにしておこう。
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それでも文部科学省は批判に対してだらしないんじゃないか、とは思う。 [削除]